第5話 覚悟の境界線

倉庫街から少し離れた高架下。

夜でも車の音が絶えず、街の鼓動だけが響いている場所だった。

鳴海 廻は、壁にもたれてスマホを眺めていた。

画面には、短いメッセージのやり取りが並んでいる。

噂。
尾ひれ。
歪められた事実。

それらが、思った以上の速度で広がっていた。

「……効きすぎですね」

独り言のように呟く。

その横で、久我 鉄平は黙って煙草に火をつけた。

赤い火が、夜に瞬く。

「あの店主、まだ意識戻らねぇらしい」

低い声だった。

廻の指が、ぴたりと止まる。

「……そうですか」

それ以上、言葉は続かなかった。

沈黙。

重たい空気の中で、鉄平が煙を吐き出す。

「お前のやり方が悪いとは言わねぇ」

廻は顔を上げなかった。

「でもな……」

鉄平は、拳を見つめる。

「越えちゃいけねぇ線ってのは、ある」

廻の肩が、わずかに揺れた。

「分かってます」

声は静かだったが、震えはなかった。

「だから――次は、終わらせます」

鉄平が、視線を向ける。

「終わらせる?」

廻は、ゆっくりとスマホをしまった。

そして、初めて正面から鉄平を見る。

その目は、冷えていた。

怒りも、迷いも、全部沈めたような目だった。

「あいつらがルール無用なら」

一拍、置く。

「こっちも、“えげつない手”で行きます」

鉄平は、短く笑った。

「……やっと、その顔になったか」

廻は、小さく息を吸う。

「もし、俺がまた――線を見失いそうになったら」

言葉を探すように、少し間が空いた。

「殴って止めてください」

鉄平は、即答した。

「殴る」

廻は、わずかに口角を上げた。

「……助かります」

そのやり取りに、余計な感情はなかった。

だが、それは――

互いに背中を預ける覚悟だった。

鉄平が、革ジャンの襟を正す。

「で、行き先は?」

廻は、夜の向こうを指さした。

「港湾連合の倉庫です」

「正面から?」

「いえ」

廻は、静かに言った。

「最初に、嘘を撃ちます」

鉄平は、ゆっくりと立ち上がる。

ジャラッ……

ウォレットチェーンが鳴った。

「なら、俺は引き金の後だな」

廻は、頷いた。

「はい」

二人は歩き出す。

夜の奥へ。
後戻りできない境界線の向こうへ。

横濱の風が、冷たく頬を打った。

それでも――
足取りは、迷っていなかった。