横濱の夜は、噂が早い。
特に、血の匂いが混じる話ほど、正確さを失いながら広がっていく。
港の倉庫で起きた出来事も、例外ではなかった。
「聞いたか? 港でやられた連中」
「幽霊だってよ」
「二人組……いや、五人はいたらしい」
「姿が見えなかったって話だ」
話は、酒場から路地へ。
路地から、SNSの裏アカウントへ。
誰かが見た“事実”は、誰かの恐怖によって塗り替えられていった。
その中心にある名前が、いつの間にか定着する。
――BORDER。
「境界線を越えたら、戻ってこれない」
「気づいたら、後ろに立ってる」
「殴られる前に、もう終わってる」
噂の中のBORDERは、
人の数も、顔も、正体も曖昧だった。
だが、恐怖だけは、妙にリアルだった。
一方。
高架下の薄暗いスペースで、鳴海 廻はスマホを操作していた。
画面には、匿名の投稿がいくつも流れている。
「……順調ですね」
独り言のように呟く。
そこへ、久我 鉄平が缶コーヒーを投げてよこした。
「俺ら、いつの間に部隊になったんだ」
廻はキャッチして、肩をすくめる。
「数は、多い方が怖いですから」
「幽霊扱いされてんぞ」
「実体がない方が、殴られにくい」
鉄平は、鼻で笑った。
「理屈は分かるが……気味が悪ぃな」
廻は、スマホの画面から目を離さず言った。
「事実は、いつも邪魔です」
「恐怖は、殴らなくても増やせます」
鉄平は、その言葉を反芻するように黙り込む。
やがて、短く言った。
「……悪くねぇ」
廻は、ほんの一瞬だけ笑った。
だが、その直後。
スマホが、静かに振動する。
廻の指が止まった。
画面に表示されたのは、
見知らぬ番号からのメッセージだった。
「幽霊は、もう通じない」
続けて、もう一通。
「マジックには、必ず種がある」
廻の表情が、わずかに強張る。
鉄平が、それに気づいた。
「どうした」
廻は、スマホをポケットにしまう。
「……分析屋が出てきました」
鉄平の目が、細くなる。
「頭の切れるやつか」
「ええ。噂を信じないタイプです」
廻は、夜の街を見つめた。
自分たちが作り出した“亡霊”が、
初めて疑われた瞬間だった。
「次は、殴る前に――見抜かれます」
鉄平は、静かに言った。
「……面倒になってきたな」
廻は、小さく息を吐く。
「ええ。でも」
一拍置いてから、続けた。
「だからこそ、本番です」
横濱の夜に、亡霊は増殖していく。
そして同時に――
その正体を暴こうとする視線も、
確実に近づいていた。