第7話 拡散する亡霊

横濱の夜は、噂が早い。

特に、血の匂いが混じる話ほど、正確さを失いながら広がっていく。

港の倉庫で起きた出来事も、例外ではなかった。

「聞いたか? 港でやられた連中」

「幽霊だってよ」

「二人組……いや、五人はいたらしい」

「姿が見えなかったって話だ」

話は、酒場から路地へ。
路地から、SNSの裏アカウントへ。

誰かが見た“事実”は、誰かの恐怖によって塗り替えられていった。

その中心にある名前が、いつの間にか定着する。

――BORDER。

「境界線を越えたら、戻ってこれない」

「気づいたら、後ろに立ってる」

「殴られる前に、もう終わってる」

噂の中のBORDERは、
人の数も、顔も、正体も曖昧だった。

だが、恐怖だけは、妙にリアルだった。

一方。

高架下の薄暗いスペースで、鳴海 廻はスマホを操作していた。

画面には、匿名の投稿がいくつも流れている。

「……順調ですね」

独り言のように呟く。

そこへ、久我 鉄平が缶コーヒーを投げてよこした。

「俺ら、いつの間に部隊になったんだ」

廻はキャッチして、肩をすくめる。

「数は、多い方が怖いですから」

「幽霊扱いされてんぞ」

「実体がない方が、殴られにくい」

鉄平は、鼻で笑った。

「理屈は分かるが……気味が悪ぃな」

廻は、スマホの画面から目を離さず言った。

「事実は、いつも邪魔です」

「恐怖は、殴らなくても増やせます」

鉄平は、その言葉を反芻するように黙り込む。

やがて、短く言った。

「……悪くねぇ」

廻は、ほんの一瞬だけ笑った。

だが、その直後。

スマホが、静かに振動する。

廻の指が止まった。

画面に表示されたのは、
見知らぬ番号からのメッセージだった。

「幽霊は、もう通じない」

続けて、もう一通。

「マジックには、必ず種がある」

廻の表情が、わずかに強張る。

鉄平が、それに気づいた。

「どうした」

廻は、スマホをポケットにしまう。

「……分析屋が出てきました」

鉄平の目が、細くなる。

「頭の切れるやつか」

「ええ。噂を信じないタイプです」

廻は、夜の街を見つめた。

自分たちが作り出した“亡霊”が、
初めて疑われた瞬間だった。

「次は、殴る前に――見抜かれます」

鉄平は、静かに言った。

「……面倒になってきたな」

廻は、小さく息を吐く。

「ええ。でも」

一拍置いてから、続けた。

「だからこそ、本番です」

横濱の夜に、亡霊は増殖していく。

そして同時に――

その正体を暴こうとする視線も、
確実に近づいていた。