第10話 亡霊の正体
スマホが震えたのは、夜が一番静まる時間だった。 画面に表示された番号は、知らない。 それなのに、廻は出る前から分かっていた。 ――来た。 通話ボタンを押すと、ノイズのない、よく通る声が流れ込んでくる。 「こんばんは、鳴海 廻くん。いや……“BORDER”の亡霊、かな?」 その呼び方だけで、胸の奥が冷たく締まった。 「用件は」 廻は感情を殺して答える。 相手は一瞬、笑った。 「急ぐなよ。君の過去の話 […]
スマホが震えたのは、夜が一番静まる時間だった。 画面に表示された番号は、知らない。 それなのに、廻は出る前から分かっていた。 ――来た。 通話ボタンを押すと、ノイズのない、よく通る声が流れ込んでくる。 「こんばんは、鳴海 廻くん。いや……“BORDER”の亡霊、かな?」 その呼び方だけで、胸の奥が冷たく締まった。 「用件は」 廻は感情を殺して答える。 相手は一瞬、笑った。 「急ぐなよ。君の過去の話 […]
雨は、いつの間にか上がっていた。 港から少し離れた幹線道路沿い。黒塗りの高級車が、静かに路肩へ止まる。 エンジンは切られない。 それだけで、場違いな存在感があった。 久我 鉄平は、歩道橋の下で立ち止まった。 「……用件は?」 車の後部座席の窓が、音もなく下がる。 中には、スーツ姿の男。 第八話で噂に上がった、紅門の幹部だった。 「君が、久我鉄平だね」 落ち着いた声。 威圧も、感情も、そこにはない。 […]
港湾連合の倉庫は、すでに封鎖されていた。 割れた照明。転がる工具箱。床に残る、かすかな靴跡。 そこに立つ男は、誰よりも落ち着いていた。 細身のスーツ。無駄のない動き。 懐中電灯の光が、床をなぞる。 「……なるほど」 男は、独り言のように呟いた。 「照明は、外から落とされている。計画的だ」 部下の一人が、落ち着かない様子で言う。 「やっぱり……幽霊なんじゃ……」 男は、ぴたりと動きを止めた。 そして […]
横濱の夜は、噂が早い。 特に、血の匂いが混じる話ほど、正確さを失いながら広がっていく。 港の倉庫で起きた出来事も、例外ではなかった。 「聞いたか? 港でやられた連中」 「幽霊だってよ」 「二人組……いや、五人はいたらしい」 「姿が見えなかったって話だ」 話は、酒場から路地へ。路地から、SNSの裏アカウントへ。 誰かが見た“事実”は、誰かの恐怖によって塗り替えられていった。 その中心にある名前が、い […]
港湾連合の倉庫は、夜になると静まり返る。 潮風と機械油の匂い。人の気配はあるが、緊張はない。 彼らは、まだ“勝った側”のつもりでいた。 その倉庫に――鳴海 廻は、たった一人で入っていった。 武器はない。仲間もいない。 あるのは、ポケットの中のスマホだけ。 「……誰だ?」 中から、声が飛ぶ。 数人の男が現れ、すぐに廻を囲んだ。 「迷子か?」 「度胸あるな、ガキ」 廻は、軽く手を上げて笑った。 「あー […]
倉庫街から少し離れた高架下。 夜でも車の音が絶えず、街の鼓動だけが響いている場所だった。 鳴海 廻は、壁にもたれてスマホを眺めていた。 画面には、短いメッセージのやり取りが並んでいる。 噂。尾ひれ。歪められた事実。 それらが、思った以上の速度で広がっていた。 「……効きすぎですね」 独り言のように呟く。 その横で、久我 鉄平は黙って煙草に火をつけた。 赤い火が、夜に瞬く。 「あの店主、まだ意識戻ら […]
横濱の中華街に近い裏路地に、古い中華食堂があった。 派手な看板もない。観光客も、地元の不良も、港湾連合の下っ端も。 腹が減れば、誰でも入る。 そして――この店には、ひとつだけ暗黙のルールがあった。 「店の中では、喧嘩をしない」 誰が決めたわけでもない。だが、そのルールは長い間、守られてきた。 それが、この街の“緩衝地帯”だった。 夜。 店内には、油の匂いと、ラーメンの湯気が漂っている。 カウンター […]
港の倉庫街に、夜が沈んでいた。 潮の匂いと、鉄の錆びた臭いが混じる空気の中で、男たちは地面に転がっている。 誰一人、立ち上がろうとしなかった。 鳴海 廻は、その光景を数秒だけ見つめてから、視線を外した。 計算通りだった。だが、見ていられなかった。 「……終わりです」 淡々とした声だった。まるで、話し合いが一区切りついたかのように。 少し離れた場所で、久我 鉄平が拳を開く。 皮膚が裂け、関節が赤く腫 […]
夜の横濱は静かすぎると逆に耳障りだ 港のクレーンが止まり車の音も途切れると空気だけが残る 廻は歩きながらスマホを弄っていた 地図アプリでもメッセージでもない ただの黒い画面だ 「……来るな」 独り言のように呟いたその直後だった 背後で靴音が増えた 四ついや五つ 「おい」 軽い声若い 廻は振り返らない 「この辺 通行料いるんだけど」 廻は立ち止まりゆっくり振り返った 笑う 「え そうなんですか知らな […]
『BORDERLINE YOKOHAMA』 第1話 ―― 境界線の夜 ―― 横濱の夜は、いつも湿っている。 港から流れてくる潮の匂いと、アスファルトに残った昼間の熱が混じり合って、肺の奥にまとわりつく。 この街では、強い拳を持つ者が尊敬される。 少なくとも、表向きは。 だが―― 鳴海 廻は知っていた。 本当に街を動かしているのは、拳じゃない。 噂だ。 嘘だ。 そして、人間の「信じたい」という弱さだ […]