横濱の夜は、いつも湿っている。
港から流れてくる潮の匂いと、アスファルトに残った昼間の熱が混じり合って、肺の奥にまとわりつく。
この街では、強い拳を持つ者が尊敬される。
少なくとも、表向きは。
だが――
鳴海 廻は知っていた。
本当に街を動かしているのは、拳じゃない。
噂だ。
嘘だ。
そして、人間の「信じたい」という弱さだ。
廻はパーカーのフードを目深に被り、雑踏の中を歩く。
量販店で買った、どこにでもある服。
誰の記憶にも残らないための、完璧な擬態。
その背後で――
ジャラッ……
重たい金属音が、夜に落ちた。
久我 鉄平。
黒のライダースに、革パン。
腰にぶら下がるウォレットチェーンが、歩くたびに警告のように鳴る。
二人は、並んで歩いていない。
だが、同じ方向を見ていた。
この夜、横濱に――
新しい「境界線」が引かれることを、まだ誰も知らない。